甘い駆け引き - Hot Chocolate -
2012年Valentine's SS
♪ 女の子は誰でも / 東京事変 ♪
「…眠い」
今にも閉じそうな瞳を擦りながら
八雲は大学への道を歩いていた
朝の通勤時間帯の道路
会社や学校へ行く人で賑わっている
「寒い、眠い…寒い、眠い…」
白い息を吐きながら規則的に繰り返す
うんざりした口調はまるで呪詛
( クマの所為で… )
昨夜後藤から寺に呼び出された八雲
朝方まで事件の解明に協力させられたのだ
( お節介が…移ったか? )
ふああああ
八雲の口から噛み殺しきれない欠伸が漏れる
潤む瞳を擦って進路を変えた
夜ならば未だしも朝の部室棟は結構煩い
そんなときの為に隠れ家は用意してあった
( 準備室で少し寝るか )
***
「………す」
不意に聴こえた小さな声に八雲は目をあけた
薄暗い部屋で赤い瞳が小さな明かりで煌めく
くあっ
小さく欠伸をして眠気を振り払い
いつも寝癖だらけの髪をガリガリと掻いた
「好きです」
薄っすらと開いたままにしてしまった準備室の扉
しっかり聴こえてしまった想いの告白
再び八雲は頭をガリガリと掻いた
睡眠を邪魔された苛立ちと
告白を盗み聞きしているような軽い気まずさ
(待つか…そう長くはかからないだろう)
予想よりもそれは期待
八雲は再び目を瞑った
「ごめん…付き合っている子が居るんだ」
「そう…でしたか」
不器用なやり取りのBGM
八雲はじっと目を閉じていた
「あの…せめてチョコだけでも受け取ってもらえませんか?」
「……喜んで。 あり、がとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ガラガラ
扉の開く音
幕が閉じる準備の音
「それじゃあ」
「…ああ」
去って行く軽い足音
音が聞こえなくなるのを待ったかのように
続いて響きだす重い足音
ガラガラ
ピシャン
「…行ったか」
むくりと起きて八雲は頭を掻いた
そして薄暗い部屋の壁にかかったカレンダーを見る
「未だ一月じゃあないか…全く御子柴先生は…」
呆れた様に八雲は息を吐き
携帯電話の液晶を見る
0214
「バレンタイン・デー…か」
八雲の頭にお節介の明るい笑顔が浮かんだ
***
「くしゅんっ」
晴香はぶるりと身体を震わせ鼻を啜った
朝の空気で鼻が冷たい
「…昨夜遅かったから風邪ひいたかな」
独り言を言いながら晴香は袋を漁る
可愛らしい包装に晴香はニッコリと笑った
軽い足取りで寺の立派な門を潜り
御堂とは逆にある建物に向かった
PING PONG
純和建築には違和感のある軽い音が来訪を告げる
パタパタとスリッパが床を叩く音が近づく
「あら、晴香ちゃん」
「おはようございます」
扉をあけた後藤の妻・敦子がにこりと笑う
「大学は?」
「今日は午後から何です」
晴香の応えに敦子は嬉しそうに笑った
「じゃあ一緒にお茶しない?」
「よろこんで」
招かれた居間に入った晴香は鼻を動かした
「ここもチョコレートですか?」
「まあ、ね」
晴香の指摘に敦子は苦笑する
「奈緒がね。お兄ちゃんとお父さんに手作りするって言って」
敦子は台所に晴香を招いた
壮絶な風景に晴香は吹き出す
「戦場ですね」
「まあ…私にも覚えがあるから責められないわ」
後藤と迎えた最初のバレンタインを思い出し
敦子は苦笑いを浮かべた
「うちの台所も似たようなものですよ」
晴香は笑って袋から包みを出す
「これどうぞ」
「まあ、ありがとう」
敦子はニッコリ笑って受け取る
「居間にクッキーがあるから食べて」
「敦子さんの手作りですか?」
晴香のからかう言葉に薄っすら染まる敦子の頬
「まあ、奈緒にあてられちゃってね///」
「ラブラブですね」
「もう、からかわないで///」
敦子は火照った頬を冷まそうと手で仰ぎながら
晴香と居間に向かった
女同士の時間
話に花が咲き話題は尽きない
あっという間に昼が近くなり晴香は腰をあげようとした
「忘れてた。これ、後藤さんと奈緒ちゃんに」
「あら、ありがとう」
「あと石井さんの分も。後藤さんにお願いできますか?」
晴香らしい3つの包みを見ながら
敦子はニヤリと笑った
「八雲君の分も預かりましょうか?」
「え…いや……」
「ここに置いていってくれても良いのよ」
口籠る晴香の頬が徐々に赤く染まり出す
「何てね」
「///」
「自分で渡したいわよねぇ」
敦子はクスクス笑い
晴香は顔をさらに赤くした
***
(今日はあと一つか)
授業が終わった教室で八雲は凝った首を回した
周囲では学生たちが動き始める
必要最低限のものしかない荷物を纏め
人が空いてきたのを見計らって席を立つ
男が多い理学部等に比べ
全学部が集う共通棟は女性が多く華やかだった
更に今日はValentine's Day
いつもより数割気合が入った女性徒の姿
そこかしこで繰り広げられるこの日独特の風景
男も女も
うきうき そわそわ
長身ですらっとしていて端整な顔
そんな八雲だが独りを好む独特の空気の所為なのか
誰に呼び止められるわけでもなく
いつも通りの道をいつも通り移動していく
遠巻きにチャンスを伺う女性徒が数名いたが
自ら近づいて来ない限り八雲は無視しているのだ
棟を出て外に出れば冷たい風が八雲を襲う
コートは着ているものの基本薄着の八雲は早足で移動する
「あ…」
角を曲がったときに八雲は声を上げ足を止めた
「あれ、八雲君?」
「…何してんだ、こんなとこで」
此処は理工学部棟
晴香は教育学部
棟が全く違う
「友だちに配ってたの」
(義理堅い奴)
不意に感じた心の淀みを無視して
八雲は呆れた様な表情を浮かべた
「八雲君は?」
「講義の移動」
「そっか。その恰好じゃ寒そうだね。それじゃあ」
「…は!?」
授業の移動はあまり時間が無いのを知っている晴香
そう思い別れの挨拶をした晴香に八雲は声を上げる
「え?」
「あ…いや…」
目が晴香の持つ紙袋に行きそうになるから
八雲はわざと違う方を見る
「八雲君、移動は?」
「いや…時間、あるから」
「あとでメールしようと思ったんだけど」
「…メール?」
言い辛いのか晴香はちょっと俯いた
「今夜って暇?」
「…今夜?」
思い掛けない話の展開に八雲はオウム返し
「暇?」
「暇…だけど」
八雲の応えに晴香はパッと顔を明るくした
「うちに来てくれない?」
「君の家?」
八雲は首を傾げる
「寺じゃなくて?」
「お寺? 何で?」
「いや、君のことだから皆にチョコって思ったんだが」
「ああ、それならもう渡してきたから」
「………」
僕のは?
不意に浮かんだ疑問が口から出る前に止める
「八雲君には違うの準備したんだよね」
「何で?」
「八雲君のことだから溶かして固めただけって言いそうだもん」
言わない
そう言いきれない自分を八雲は自覚していた
「だから違うの準備したの」
自分だけ違うもの
その差別化は確かに八雲の胸の靄を振り払った
現金な自分に八雲は自嘲した
「何笑ってるの?」
「別に」
首を傾げる晴香を見ながら
八雲は緩む顔を隠しきれなかった
***
「いらっしゃい」
晴香のマンションを訪れた八雲
出迎えた晴香は眠そうな八雲の目に気付いた
「寝不足?」
「部屋が寒くて眠れない上にクマに呼び出された」
「寝袋で床じゃあねえ」
晴香は自分の部屋にある暖房器具を見て呟いた
一方八雲の部屋(?)はセラミックヒーターのみ
「夕飯は?」
「食べたような、食べてないような」
曖昧な返事に晴香は苦笑い
「何を食べたの」
「チョコレート」
ぴたりと動きを止めた晴香を八雲はジッと見た
対峙する二対の瞳
空気に緊張が忍び寄る
「奈緒から貰った」
意味深な沈黙を破ったのは八雲
「奈緒…ちゃん?」
「ああ」
晴香はホッと力が抜けるのを感じ
慌てて誤魔化した
「それご飯じゃないじゃん」
「腹は膨れた」
「子どもじゃないんだし。余り物で良ければ食べる?」
「食べれるものなら」
「失礼なっ!」
プリプリとキッチンに去って行く晴香を見ながら
八雲は小さく笑った
その笑いは目論見が上手くいったことを表していた
「温かい」
八雲の手が座ったカーペットを撫でる
「良かったら丸まって寝てく?」
「僕は猫じゃない」
「似てるのに」
不機嫌な八雲の応えに晴香は笑った
「御馳走様」
「お粗末様でした」
寺で育ったからか綺麗な所作で食事を終えた八雲
漂ってきた香りに八雲は苦笑した
「食後にココアはいまいちだな」
今はもう嗅ぎ慣れた匂い
シナモンの混じった親友直伝の晴香のココアの香り
「芸が無い」
「煩い」
晴香はやや乱暴にカップをテーブルに置く
茶色い液面が跳ねて音を立てる
「どうぞ」
「…ありがとう」
”黙って飲め”
そう言う目にため息を吐いて八雲はカップを手に取った
「…」
ジッと自分を見る大きな目に気付き動きを止める
「何?」
「!! え、ううん」
晴香は慌てて立ち上がりキッチンに消える
「何だ?」
八雲は首を傾げカップに顔を近づけた
先ず気づいたのは匂いの違和感
いつもとは違う
シナモンの香りが無い
「………」
カップを傾けてゴクリと飲めば
いつもと違う味がする
八雲は小さく笑って飲み干すと
空のマグを持って晴香の消えたキッチンに向かう
「ありがとう」
戸口から声をかければピクリと震える晴香の背中
八雲は笑いをかみ殺す
「美味しかった…未だ、ある?」
「う、うん」
くるりと振り返った晴香は嬉しそうな顔で
八雲は笑いをかみ殺しながらマグカップを晴香に渡す
「これって”特別”?」
「う…うん///」
俯いた晴香は見ることが出来なかった
八雲の顔が嬉しそうに緩んだことを
「気に入ってくれてよかった」
晴香は俯いたまま八雲に背を向けた
「これって人気のホットチョコレートでね」
「ふうん」
「前から飲んでみたかったんだけどキッカケが無くて」
八雲は切れ長の目をスッと細める
「値段も結構…皆にもこれだったら破産しちゃう」
そう言って晴香はニッコリと笑う
「八雲君にはお世話になっているから」
「……………減点」
八雲の言葉に晴香は首を傾げた
「”げんてん”?」
ぷいっと八雲は顔を背け
礼を言ってマグカップを受け取るとスタスタとリビングに向かう
「ちょっと…何を怒ってるの?」
「怒ってない」
「もう! 八雲君!」
「煩い」
「んもうっ!」
晴香は呆れた様に言って
自分のマグカップを持って少しだけ離れた場所に座る
「八雲君ってわけ解らないや」
八雲はホットチョコレートを飲みながら更に眉を顰めた
(僕にとって君の方が未知だ…なかなか、手強い)
吐き出したのはチョコレートの香りの息
物思いにふける八雲は気付かなかった
部屋に漂ういつものココアの香りが直ぐ傍からすることを
飲みたかった筈のホットチョコレートではなく
晴香のマグカップにはいつものココアが入っている現実に
- END -
【あとがき】
明日はバレンタインデーですね
男の子も女の子もそわそわな一日
私も旦那様にチョコレートを準備中
(購入品ですが)
今日ラジオでこの曲がかかって
殴り書き風にこのSSを書き上げました
気に入って頂ければ幸いです
naohn
2012.2.13(The Valentine's Day Eve)
加筆修正しました
2012.3.9