新婚さんの恋七夕
2013年
Summer Valentine's Day
「ふぁ」
欠伸をしながらリビングの扉を開ければ
ふわりと夜と二人の生活の匂いが漂う
実家とは違う匂い
この匂いを嗅ぐたびに柔は結婚したことを実感する
「また…社員証無くしたって大騒ぎするくせに」
" 柔さん、俺の社員証知らない? "
そんな朝のドタバタ活劇は
週に1、2回このリビングで催されている
「仕方ないなぁ」
松田のクセを知る優越感で顔を緩ませながら
柔はソファの背に辛うじてかかる社員証を手に取る
社員証の右半分はこっちを見る松田の顔
これを見れるのもあと僅かと思うと柔は寂しく思う
松田はこの秋からフリーになることを決めていた
" といっても最初はコネで仕事もらうんだけどさ "
情けないよな、と自嘲する松田の傍で
ほっと安堵していたのは柔の秘密
柔と松田には記者と取材対象という関係もあって
追っ駆けっこ期間は恋人&夫婦期間よりかなり長い
その関係が無くなるのが柔は寂しかったから
「もう少しだけ追いかけてね」
柔は社員証にチュッとキスすると
照れ臭そうに紐をまとめて机の上に丁寧に置いた
「いい天気」
カーテンを開けて窓を開けると
朝陽と同時に風が舞い込み夜気の名残が掃われる
ジャージに包んだ身体を伸ばした柔は
サラサラと涼やかな音に気付いて窓辺の笹を見る
富薫子の手による折り紙の笹飾りがついた笹は
" おじちゃんちが一番空に近いから "
飾って、と
富士子に連れられて持って来たもの
二人の新居は
丘の上にある緑に囲まれたマンション
上階の部屋を選んだから
富薫子が言う通り空が近くとても広く見える
部屋透けるような青空を見て
今夜は晴れそうだと柔は歓ぶ
松田との恋で離れ離れの辛さを知るいま
今夜恋人たちが無事に逢えるようにと願ってしまう
梅雨独特の湿気た風が笹の葉に浄化され
心地良い空気の中で柔は念入りにストレッチをする
結婚してもトレーニングは日課
ストレッチで身体を解して
実家まで約5キロのジョギング
猪熊家の道場で今まで通り稽古して
シャワーを浴びて朝食用のパンを買って帰って来る
松田がいる日の朝は二人分
(美味しいって言ったパンって何だっけ?)
忙しい松田と朝食を共にするのは久し振りで
わくわくしながら柔はストレッチを終えようとして
「・・・」
もう1セット、と
今日は念入りにストレッチする
" 怪我したら絶対安静、こっちで療養ぢゃ "
お祖父ちゃん寂しいのよ、と玉緒は笑っていたが
あの滋悟郎なら絶対やる、と柔は解かっている
まるで天帝に彦星と引き離された織姫となるのだが
彦星も天帝の意見に全面賛成だから仕方ない
「空の二人が逢えるのに、ねえ」
柔の彦星は天の川わたり放題だからいいか、と
実家の祖父も母も認めている夫に満足することにして
満天の夜空を予感させる青空を見ながら
1セット追加したストレッチを終えた
***
「おはよう」
日課を終えて無事に家に帰れば松田が起きていて
柔から焼き立てのパンが入った袋を笑顔で受け取って
「何それ?」
柔がぶら下げていた袋の中身に興味を持った
「素麺。七夕の日に食べると良いんだって」
知ってた?、と柔が訊ねれば
初めて聞いた、と松田は応える
二人で揃いの”初めて”は嬉しくて
気分上々と柔と松田は笑顔でキッチンに行く
「机の上に白い紙があるけど、あれ短冊?」
珈琲好きの自分の為の特大マグに珈琲を入れ
冷蔵庫からスポーツ飲料を取って柔に渡す
「うん。ふくちゃんが持って来たの」
ありがとう、と礼を言って飲み物を受け取り
一息で半分以上あける
「それじゃあ飯食ったら書こうか」
何を書こうかな、と楽しそうな松田の姿に
子どもみたい、と柔は笑った
「書けた?」
朝食を終えて
柔はキッチンで
松田はリビングで
それぞれの短冊に願い事を書いた
” せーので見せ合いっこしよう ”
どっちが子どもなんだか、と
松田が笑いながら是と言えば柔がリビングに来る
「「せーの」」
裏返しに渡された短冊をひっくり返す
まるで宝箱を開けるようなワクワク感
「 " 世界中の子供が夢を持ちます様に " か」
松田らしい願いだと柔は思う
スポーツは芸術と同じ様に万国共通のもの
人々が繋がるツールの1つ
人種や宗教などの枠を越えられるもの
" American Dreamだよなぁ "
スポーツ選手は夢を見せられると松田は良く言う
身体一つでのし上がってきた彼らの成功は
世界中の子供たちに夢を与えられる、と
「松田さん………?」
優しい松田の願いに感動して
そんな優しい人と結婚できたことが嬉しくて
短冊から顔を上げると
松田は真っ赤な顔をして柔を見ていた
「・・・///」
口もとを手で覆い
困った様に目線を泳がせる松田に
何か変なこと書いたっけ、と
柔は首を傾げ
「ぁ…」
もしかして、と
一つの仮定に辿りつき
「な…んで、そんな…深読みするんですかぁ///」
柔も真っ赤になると
だって、と松田もくぐもった声を出す
「だって…” 子供が出来ます様に” って///」
久し振りの休みだから期待されてるのかな、って
松田がボソボソと言えば
「~~~///」
柔の顔がボンッと赤くなり
「期待なんてしていませんっ///!!」
手近にあったクッションを松田の顔に投げ付け
逃げる様にリビングを出て行った
「…だよなぁ、柔さんだし」
クッションを顔から取った松田は
ポリポリと頭を掻き
結婚して舞い上がったるんだな、と
深く反省して立ち上がる
窓辺の笹に二枚の短冊を結び
「柔さんに似た男の子と女の子が一人ずつ欲しいな」
柔のキレイな字で書かれた短冊を指で弾き
リビングの向かいの寝室に閉じ籠った柔の元に行くため
細い廊下を2歩で渡った
- END -
【あとがき】
2013年七夕物語はYAWARA!で創りました
♪ レイニー・ブルー(徳永英明)♪を聴いていて
雨の七夕も考えましたが
やっぱり七夕は晴れ希望ということで
今年の七夕の夜が晴れます様に
naohn
2013.7.5
梅雨の時期はRainy Blueを実感します
万葉集第十巻には七夕の歌が多いそうです